2012年3月15日木曜日

わが心の女


僕がこのQ島に来てから二週間の見聞は、すでに三回にわたつてRTW放送局へ送つたテレヴィによつて大体は御承知かと思ふ。僕の滞留許可の期限は明日で切れるのだが、思ひがけぬ突発事故のため、出発は相当延びることになりさうだ。その突発事故といふのは、第一には僕を襲つた恋愛であり、第二には、昨日この島に勃発《ぼっぱつ》した革命騒ぎだ。島の政府は、それを反革命暴動と呼んで、規模も小さいし、もはや鎮定されたも同様だと、すこぶる楽観的な発表をしてゐるけれど、僕の見るところでは、事態はさほど簡単ではないやうだ。
 ともあれ、革命騒ぎのため、電波管理は恐ろしく厳重になつた。殊《こと》に外国人は一切発信の自由を奪はれ、僕の携帯用テレヴィ送信器も一時差押へをくつてゐる。空港はすべて、軍用ないし警察用の飛行機のほか離着陸を禁止された。僕は手も足も出ないのである。そこで僕は、密航船といふ頗《すこぶ》る原始的な手段に、この通信を託することにする。もつともそれだつて、きびしいレーダ網を果して突破できるかどうか。万全を期するため、ついでにコピーを一通つくつて、壜《びん》に密封して海中に投じることにしよう。この早手廻しの遺書(?)が、結局無用に帰することを僕は祈る。失恋と革命騒ぎと――この二重の縛《いま》しめから、明日にも解放されんことを僕は僕のために祈る。
 僕がこの島にやつて来て最初の十日ほどの間に味はつた驚異については、僕は既に三回のテレヴィ放送で、かなり実証的に報告しておいたはずだ。まつたく、北緯七十五度、西経百七十度といふ氷海の一孤島に、突然RTW局の特派員として出張を命ぜられた時には、家族よりも僕自身の方がよつぽど色を失つたものである。しかも季節は、われわれの暦によれば十一月の末であつた。僕は生まれつき頗《すこぶ》る寒さに弱い体質である。しかし報道記者としての僕の野心は、つひに一切の顧慮や逡巡《しゅんじゅん》にうち勝つた。僕は意を決して、あの冷雨の朝、Q島政府差廻しの成層圏機の客として、(おそらく甚《はなは》だ悲痛な顔をして)ハネダ空港を飛び立つた。そのとき君は、温室咲きの紅バラを一籠《ひとかご》、僕にことづけたつけね。Q島の大統領に贈呈してくれといふ伝言だつた。この伝言は、しかし残念ながら果すことができなかつた。それには次のやうな事情がある。
 バラが冷気で枯れたのではない。それどころか、機中の完全な保温装置と、僕の熱心な灌水《かんすい》とによつて、バラは刻一刻と生気を増して行つたのだ。ところが驚いたことには、北緯七十三度を越えたと機中にアナウンスされた頃から、君の紅バラはみるみる醜い暗灰色に変色しはじめた。すでに飛行機はいちじるしく高度を低めて、人も植物も、Q島の放射する強烈な原子力熱気の圏内に入りはじめたのである。
 まもなく、Q島南端の空港に着陸したとき、防疫検査は峻烈《しゅんれつ》をきはめた。君に委託されたバラは、その時すでに暗灰色の花びらに黒褐色の斑点《はんてん》をすらまじへて、およそグロテスクを極めてゐたが、僕は敢然として防疫吏の前に、これは日本北岸原産の麝香《じゃこう》バラといふ珍種である旨《むね》を主張してゆづらなかつた。防疫吏は僕の主張を一笑に附して、このバラは既に枯死して久しいと宣告した。そして両の手のひらで花びらをもむと、事実バラの花びらは、石灰のやうに飛散してしまつた。僕は恥ぢ入つた。
 さて僕はといふと、この峻烈かつ炯眼《けいがん》な防疫吏の手で、全裸にされた。頭髪、胸毛、恥毛など一切の毛髪も、薬物によつて脱去され、全身消毒ののち、透明な衣服を与へられた。それは下着から上衣《うわぎ》やネクタイに至るまで、悉《ことごと》くガラス繊維で織られたものであるが、かなり柔軟性があつて、着心地は悪くない。僕はQ国の国是《こくぜ》たる透明主義の洗礼を、まづここで受けたわけである。ついでに記しておけば、Q国の制服は男は無色透明、女は淡青色透明のガラス服であつて、一さい除外例を認めない。
 僕は日本人として、勿論《もちろん》すこぶる当惑と羞恥《しゅうち》を感じ、せめて黒色ガラスの服を与へられたいと抗弁これ努めたが、無駄であつた。のみならず、僕が必死になつて叫び立てた「黒」および「羞恥」といふ二語は、いたく係官の心証を害したらしい。彼らは暫《しばら》く何事か協議した。ファシスト? 狂人? などといふ囁《ささや》きが僕に聞えた。しかし結局、滞留許可証は与へられた。滞留場所は、HW一〇九Pといふ指定である。
 君はこのHW一〇九Pといふのを、どんな場所だと思ふか? 僕が先日の放送で、それを極楽にも比すべき豪壮快適なホテルとして紹介したのを、恐らく君は記憶してゐるだらう。だがあれは、プレスコードの勧告に従つたまでのことで、実は病院――しかもその精神科だつたのである。僕がひそかに盗み見た僕のカルテには、封建主義的|羞恥《しゅうち》症と記載してあつた。さして重症でなかつたものか、それとも山羊《ヤギ》博士の治療が卓抜であつたせゐか、僕は三日ほどで全快を宣せられた。さてそこで僕は、ホテル住まひの身になれたか? 断じて否《いな》。僕が次に居住を指定された場所は、同じ病院内の、なんと産婦人科であつた。
 全く、なんといふ侮辱だらう。僕の忿懣《ふんまん》はその極に達したが、今度も抗弁は無効であつた。僕は科長である鰐《ワニ》五郎博士、および研究室附きの若い看護婦、鶉《ウズラ》七娘に引渡され、病棟内の小部屋に収容された。
 改めて言ふまでもなくQ国の家屋は、その国是《こくぜ》に則《のっと》つて、礎石と鉄骨を除くほかは壁も床も天井も屋根も、全部が無色の透明ガラスである。カーテンや家具や食器も、やはり同様である。病院建築にしても、無論その例外ではない。もつとも技術的ないし人道的な見地から、特例として局所的な遮蔽《しゃへい》の行はれる場合もある。つまり分娩《ぶんべん》とか掻爬《そうは》とかの、苦痛や惨忍性を伴ふ場合がそれであつて、この時は手術台なり分娩台なりを、到底肉眼の堪へぬほど強烈な白熱光をもつて包むのである。ただし患者および施術者に限つて、特殊な黒|眼鏡《めがね》の着用が許される。つまり光を以て光を制するわけで、この遮蔽法は頗《すこぶ》る透明主義の理想にかなふものと言はなければならぬ。(ちなみにこの遮蔽法は男女間の或るプライヴェートな交渉の場合にも、当分のあひだ[#「当分のあひだ」に傍点]適用を許されてゐる。)
 さて、僕の収容された室《へや》の両隣りはガラスの壁を境に手術室であり、ガラスの廊下をへだてた向うは診察室であつた。そこで僕は、眼のやり場に窮して、神経衰弱になつたか? 断じて否。僕はここに於《おい》て、はじめて病院当局の意の存するところを知つた。僕が産婦人科に収容されたのは、つまり羞恥症の快癒状態を実地によつて検証するためであつたのだ。僕はこのテストにパスして、一週間後には解放されるはずであつた。
 僕がこの二度目の入院中に見聞したことで、書きもらしてならぬことがある。それは女性を「女性」から解放する研究が、すでにこの国ではかなり進んでゐることである。それは煎《せん》じつめれば、出産を全免ないし禁止することでなければならない。精子と卵子との試験管内における人工交配は、すでにQ国では一般化されてゐるけれど、それでもまだ遊戯的な恋愛の結果たる姙娠《にんしん》現象は、必ずしも減少してはゐないと言はれる。それは現にこの鰐博士の分娩室や手術室が、日々相当の賑《にぎ》はひを示してゐることでも明らかだ。これに対しては専門家の間で、幾つかの根本的研究が進められつつある。例へば山羊博士は、去精の男性一般に及ぼす悪影響の除去について研究中である。これに反して鰐博士は、むしろ子宮や乳房《ちぶさ》の自然退化を促進する方を捷径《しょうけい》と見て、既に三十年をその研究に費《ついや》して来た権威者である。そして僕の見るところでは、鶉《ウズラ》七娘といふ看護婦は、主としてこの方面の研究の助手および恐らくは実験台をも勤めてゐるらしかつた。けだし僕は二人が研究室にこもつて、二人きりで例の白熱光幕に包まれるのを屡々《しばしば》見かけたからである。
 さういふ時、博士はよく「阿耶《アヤ》、阿耶《アヤ》」といふ絶叫を漏《も》らした。僕はそれを、博士が感きはまつて口にする彼女の愛称かと思つたものである。それとも、それはQ語の単なる感嘆詞だつたかも知れない。僕はひそかに嫉妬《しっと》を感じた。阿耶は楚々《そそ》たる美しい娘であつた。淡青色のガラス服を透して見えるその胸には、みづみづしいつぶらな乳頭がぴんと張つてゐた。それはまだ些《いささ》かも退化の兆候を示してゐなかつた。僕はそれを見るたびに、何かほつとするのだつた。
 僕はすでに外出を許されてゐた。嫉妬を紛らすため、僕はよく外出した。中央公園の素晴らしさについては、既に僕の送つたテレヴィで御承知のことと思ふ。やがて十二月に入らうといふこの氷海の孤島の公園は、ありとあらゆる熱帯|蘭《らん》の花ざかりである。その間に点々と、竜眼《りゅうがん》やマンゴーなどの果樹が、白や黄いろの花を噴水のやうにきらめかせてゐる。星形をした大きな池には、赤|蓮《はす》や青蓮が咲きほこり、熱帯魚がルビイ色の魚鱗《ぎょりん》をきらめかせてゐる。樹間には極楽鳥の翅《つばさ》がひるがへり、芝生には白|孔雀《くじゃく》が、尻尾《しっぽ》をひろげて歩いてゐる。
 公園には博物館もあつた。陳列品の中で思ひがけなかつたのは、ミイラの夥《おびただ》しい蒐集《しゅうしゅう》であつた。非常に保存がよく、繃帯《ほうたい》まで原態をとどめてゐるのも少なくなかつた。その中で特に、赤膚媛《アカラヒメ》と標記された若い女性の一体と、片氏月姫《ガシグツキ》と標記された一体とが、著《いちじ》るしく僕の注目をひいた。前者は日本|奥羽《おうう》地方出土とあつて、豊かな乳房がありありと面影をとどめてゐる。後者は天山南路出土とあつて、下腹部の隆起がどうやら子宮の厳存を思はせた。
 僕はまた、ほとんど毎晩のやうに、一流の劇場のボックスに納まつた。そこでは、盛装を凝らした紳士淑女の姿に接することができる。盛装とは言つても、もちろん男子服はあくまで無色透明、婦人服は淡青色透明のガラス織であることは変りはない。その代り様々のアクセッサリーの趣向にかけて、特に女性は恐らく世界最高の洗煉《せんれん》に達してゐると称していいだらう。例へば某高官の美しい夫人は、臍窩《せいか》にダイヤモンドを嵌《は》めこんでゐる。
 紅、黄、紫、藍《あい》、黒などの、禁ぜられた衣裳《いしょう》を着用できるのは、舞台上の扮装《ふんそう》の場合だけである。それも概して半透明ガラス織を限度とするが、ただ例外として特殊のショウには、不透明の衣裳の使用が許されてゐる。ある運命的な晩、僕は図らずもその種のショウを観た。そして「彼女」を「発見」したのである!
 それはストリップ・ショウで当りをとつてゐる小劇場であつた。舞台の中央から、跳込《とびこみ》台のやうなものが観客席へ突き出してゐる構造も、わが国などと同じである。はじめ僕は、このショウに大した期待を持つてゐなかつた。全く、平生《へいぜい》透明ガラスの衣裳で歩いてゐる女たちが、それを脱がうと脱ぐまいと同じことではないか。ところが幕があくに及んで、僕は自分の不明を謝さなければならなかつた。Q国でストリップといふのは、逆に衣裳《いしょう》を重ねることだつたのである。
 フランス王朝風、支那《しな》宮女風、カルメン風、歌麿《うたまろ》風など、あらゆる艶麗《えんれい》または優美の限りをつくした衣裳が、次々に舞台の上で、精妙な照明の変化のまにまに、静々《しずしず》と着用されてゆくのであつた。着け終ると、舞踊が始まり、つひにプリマドンナが橋がかりの突端まで進み出て、妖艶《ようえん》きはまるポーズを作る。われわれの眼からすれば、ファッション・ショウにすぎないものを凝視する観客席の緊迫感は、真に異常なものがあつた。
 つひに最後の幕が来た。それは日本の王朝時代に取材したショウであつたが、はじめのうち幽暗であつた照明が、次第に明るさを増して、やがてプリマドンナが現はれた時、観客の興奮は青白い火花でも散らしさうであつた。彼女はゆるやかに十二|単衣《ひとえ》を着け終ると、淡紫の檜扇《ひおうぎ》(もちろんガラス製であるが)をもつて顔を蔽《おお》ひながら、橋がかりへ歩を移し、そこで扇をかざして婉然《えんぜん》と一笑した。僕はその顔を見ておどろいた。それは彼女であつた。あの阿耶であつた。
 それを見てからといふもの、僕がどんな懊悩《おうのう》の日夜を送つたかは、くどくどしく述べる気力がない。一口に言へば、僕は嫉妬《しっと》と恋の鬼になつたのである。ある午後、僕は博士の不在を見すまして、猛然と彼女に迫つた。阿耶は拒まなかつた。二人は黒|眼鏡《めがね》をかけて、白熱光|裡《り》の人となつた。しかし僕は、いたづらに不能者たる自分を発見したにすぎなかつたのである。阿耶のからだは、まさにガラスのやうに冷めたかつたのだ。
「阿耶! お願ひだ……」と、僕はあへぎあへぎ哀願した。「今晩あすこの楽屋で……十二単衣すがたで……ね、いいだらう? 君は僕の……心の……」
「心の……ですつて?」と阿耶は、唇を反らして冷笑した。「なんていふお馬鹿《ばか》さんなの! 心の……十二単衣……」彼女は、水色ガラスのシュミーズを着ながら、嘲《あざけ》るやうに繰り返した。
「とても似合ふんだ。あれでなくちやいけないんだ。……ね、楽屋で、今晩……」
「およしなさい、みつともない! 第一この私に、そんな真似《まね》ができると思つて?『女性解放』青年同盟の執行委員の私に!」
「ぢや、なんだつて君は、あんな姿で舞台に立つたのだ?」
「わからない人! あれは男性の色情を馴化《じゅんか》するため、青年同盟が採択した方法なのです。ああして刺戟《しげき》の反復でもつて、男の脳中枢を麻痺させるんだわ。」
 僕は茫然《ぼうぜん》と立ちすくんだ。危く白熱光を消さないままで、黒眼鏡をはづしかけたほどである。がその時、病院の中庭で、けたたましい銃声が立てつづけに響いた。自動車の爆音がきこえ、やがて大勢の足音が、入り乱れて廊下をこつちへ近づいて来た。僕たちが研究室へ飛びこむと同時に、廊下のドアから、顔面|蒼白《そうはく》の鰐博士が駈《か》けこんで来、あとから黒い影が二つ、風のやうに押しこんで来た。
 影たちの手にはギラギラ光るピストルがあつた。
 それが一斉に火を吐いた。鰐博士はばつたり倒れた。
「反動……革命だ……」といふのが、その唇をもれた最後の※[#「口+耳」、第3水準1-14-94]《ささや》きであつた。阿耶は僕の胸のなかで失神した。
 僕は二人の下手人《げしゅにん》を見た。そして、それがあの博物館にあつた赤膚媛、牙氏月姫といふ二体のミイラに他ならぬことを認めた。一人は乳房《ちぶさ》を揺り立てて笑ひ、もう一人はこれ見よがしに子宮部を突き出して哄笑《こうしょう》した。と、さつと身をひるがへして、再び風のやうに走り去つた。……

 噂《うわさ》によると、反乱はまだ続いてゐるさうである。もはや市中には銃声は聞えないが、急速に地方へ波及しつつあるらしい。その首謀者は、二三の高級軍人の夫人たちだとも言ふが、真偽のほどは判明しない。
 きのふ僕は阿耶の葬儀に列した。弔砲《ちょうほう》が鳴つて、非常な盛儀であつた。あのまま息を引きとつた彼女の顔は、ガラスの棺《ひつぎ》のなかで白蝋《はくろう》のやうに静かであつた。僕は純白の花束を、人々の後ろから墓穴のなかへ投げてやつた。さらば、わが心の女よ!