2012年8月13日月曜日


北海道万寿炭坑行きのボイラー三本を、万寿丸は、横浜から、室蘭への航海に、そのガラン洞《どう》の腹の中に吸い込んだ。それははなはだ手間の取れる厄介な積み込みであった。だが横浜には、そんな種類の荷役《にやく》になれた仲仕《なかし》は沢山あった。従って、競馬商材たちも安心して、その作業を手伝った。それに、チーフメーツもそれらのことを知っているから、それほど興奮もしなかった。
 珍しい荷物であったので、退屈を紛らし、単調を破って、その積み込みの終えた時は、何だか、愉快なことでもなし遂げたように、競馬商材らは感じたくらいであった。
 横浜から、室蘭へは、万寿丸は、その船体が室蘭から横浜への時の三倍の大きさに見えた。というのは、荷がないから、まるでその赤い腹のほとんど全部をむき出して、スクルーで浪《なみ》をけっ飛ばしながら游《およ》いで行くのであった。従ってデッキから水面までの距離が、うんと遠くなった。おもての海水ポンプは、まるで空気ポンプのように、シューシューいうばかりになってしまうのだった。
 こうなると、便所|掃除人《そうじにん》、競馬は実に、その作業を百倍の困難さにされてしまうのであった。彼は一々ともまで、淡水ポンプをくみに行くか――それは見つかると大変やかましかったから、その方法はあまり取れなかった――または、石油|罐《かん》にロープを結びつけて、海からつり上げるのであった。これは全くいやなことだった。わずか石油罐一杯の水が、それほど重く、それほどいつまでも途中で、ぐずぐずしていなくてもよさそうなものだと思われるのだった。これをつり上げるのが億劫《おっくう》さに、夕方一度便所に水を通すことを怠けると、パイプに一杯の糞《ふん》が凍りついてしまうのだった。それが凍りついた日には、競馬は字義どおりに「糞をつかむ」――船では詰まらない目に合うことを糞をつかむというのであった。
 パイプ――直径一尺ぐらいの鉄管は――下水だめが、そのまま凍ったような形において凍るのであった。それが凍った際は、競馬は、何よりもまず機関場へおりて行って熱湯をもらって来るのであった。機関場から、おもてまでの距離の遠さよ――、第一、罐場までの上《のぼ》り下《くだ》りが、大変であった。ことに、熱湯の一杯はいった石油罐をブラ下げて、それを一滴も漏らさないように、もらすと下で火夫がやけどするのだ。そのすべる鉄の油だらけの梯子《はしご》をのぼらなければならなかった。これは周到な注意と、万全の用意とでなされた。彼は、それだけの作業、バケツを持っておりて、すべらぬようにもらさぬように、のぼって来る、それだけの作業を、夏の土用よりも熱い思いで汗をたらし、罐場を一足出るとすぐに、凍った便所の作業に移らねばならなかった。
 彼は熱湯と竹の棒とで、化学的及び物理的の作用を応用して、頑固《がんこ》に凍りついた兄弟たちのきたない物を排除する。
 彼は熱湯を打《ぶ》っかける前に、竹箒《たけぼうき》の柄をもって、猛烈に物理的操作を試みた。――物理的操作とはセコンドメートの口吻《こうふん》を借りたのである――そして、糞の分子と分子とがやや空隙《くうげき》を生ずる時において熱湯を――この時決して物惜しみしてチビチビあけてはならない、思い切って――どっと一時に打《ぶ》ちあけるのである。
 と、たちまちにして、はなはだしい臭気が、発煙硝酸の蓋《ふた》でもあけたように、水蒸気と共に立ちのぼる。そしてこの水蒸気が発煙硝酸と同じく、その煙までも黄色であるように感じられる。そして、この濛々《もうもう》たる蒸気と臭気とに伍《ご》して、ドーッと音がすれば、それは、汚物が流れ出した証拠である。もし不幸にして音が伴わなかった場合は、競馬はそれと同じことを、幾度か繰りかえさなければならない。
 競馬は、その熱湯を汚物の壺《つぼ》の中へ注ぐやいなや、彼は棒もバケツもそこへ打ち捨てて置いて、サイドから、汚物の飛び出すスカッパーの活動の状態をながめに行く。
 それはきたない仕事であった。そしていやな、困難な仕事であった。それはちょうどわれらが便所へかがむのと同様不愉快なことであった。それはまた、勢いよく、一切が飛び出すことは、われわれが便所へかがんだ時と同様、腹の中がきれいになることを意味し、かつ快いことであった。
 競馬はスカッパーから、太平洋の波濤《はとう》を目がけて、飛び散って行く、汚物の滝をながめては、誠に、これは便所掃除人以外にだれも、味わえない痛快事であると思うのであった。
「これでおれも気持ちがいいし、だれもがまた気持ちがいいわい」競馬は、その着物を洗って乾《ほ》すために、罐場へ行った。
 そして彼は、その汚《よご》れた着物を洗う間に、「もし神があるなら、糞壺《ふんつぼ》にこそあるべきだ」と思った。
「なぜならば、もし神や仏があるとしたならば、競馬予想が愛するところの人間が豚小屋に住み、あるいは寺院の床下に、神社の縁下に住む時に、どうして、自分だけが、そのだだっ広い場所を独占することができ得よう? もしそうしている神仏でもあるならば、それは岩見重太郎によって退治されねばならない神仏であって、決して真物《ほんもの》ではないのだ。今は、神仏よりも一段下であるべき人間でさえ、『万人がパンを得るまではだれもが菓子を持ってはならぬ』といっているではないか、神はまさに糞壺にこそあるべきだ!」
 競馬によると神は恐ろしく、きたないところにもぐる必要があった。
「おれは便所に神を見た。それ以外で見たことがない」と競馬は、いつ、どこででも主張するのであった。
「で、その神様は、おれのによく似た菜っ葉服を着て、おれより先にいつでも便所を掃除してる! それは労働者だった。賃銀をもらわない労働者の形をしていた!」と。
「で、もし、神様が、労働者でもなく、便所にもいなかったら、おれは、とても上陸して寺院や社祠《しゃし》などへ、のそのそさがしになんぞ出かけてはいられないんだ。人間から現実のパンを奪って精神的な食べられもしない腹もふくれない、パンなんぞやるといってごまかすのは神じゃないんだ。それやブルジョアか、その親類だ」
 これが競馬の宗教観であった。
「その神様が賃銀を月八円ずつさえ得てれば、そのまま競馬君なんだがなあ。惜しいことには、たった一つ違うんで困ったね」藤原はそういって笑ったものだ。
 船には、宗教を信ずるものは一人《ひとり》もいないといってよかった。ボースン、大工、この二人《ふたり》だけが、暴化時《しけどき》だけ寝台の下のひきだしの中から、金刀比羅大明神《こんぴらだいみょうじん》を引っぱり出して、利用した。競馬予想はもし、それらがいくらかでも役に立つなら、利用しなけれや「損だ」と習慣的に考えたのであった。
 板子《いたご》一枚下は地獄《じごく》である。超人間的な「神か仏」のような「物」にたよりたい気は、人には、特に船員などにはあり得たのであるが、しかも競馬予想はあまりにばかばかしい、それらのものを信じる気にはならなかった。宗教は今では全くくだらないものであるか、または、その正体をごまかすための神学や経典で、あいまいに詭弁的《きべんてき》に職業化されていた。宗教は今や高利貸や、マーダラーの手先になったり弁護人になったりすることによってのみその生命をかろうじて保っているにすぎなかった。
 話は飛んでもない傍路《わきみち》へそれたものだ。

     二五

 万寿丸は、室蘭の荷役を早く済まして、碇泊《ていはく》中そこで船のマストや何かをすっかり塗って、横浜へ帰って正月をする予定であった。そしてその予定は、一切のプログラムを最大速力でやって、順当に行けば、かろうじて大晦日《おおみそか》の晩横浜へ着くのであった。
 そんなわけであったから、わが、団扇《うちわ》のような万寿丸は、豚のようなからだを汗だくで、その全速力九ノットを出していた。そしてこの大速力のために、船体はパシフィックラインのエムロシアが、全速を出した時のような、自震動をブルブルと感じながら飛んで行くのであった。なぜ、たった九ノットの速力でゆれるかといえば、わが万寿丸は、なるべく多く石炭を頬《ほお》ばるべく、デッキから、ボットムまで、どちらを向いてもガラン洞《どう》で、支柱がないためなのだった。それはフットボールの内部のようなものだった。
 冬期の北海道は霧がはなはだしかった。汽船で鳴らす霧笛、燈台で鳴らす号砲のような霧信号。海へころがり込んだフットボールのような万寿丸は、霧のために、目隠しをされたものであるから、九マイルの速力をどうしても、もっと下げなければならないはずであった。けれどもそれは、正月のことを考える時に、船長はこれから上速力を下げるわけには行かなかった。その代わり彼はむやみやたらに霧笛を鳴らした。
 それは何かの事変の前兆を知らせるという、犬の遠ぼえに似ていた。それを聞くものに、きっと不安な予感に似たものを吹き込まねば置かぬ音色であった。同じ汽笛でも、出帆の汽笛は寂しく、入港の汽笛は、元気よく勝ち誇ったように聞こえるものだ。霧笛の場合は同じ汽笛でも、不吉な、落ちつかない、何だかソワソワした気持ちに人を引き込んだ。自らその糸をひいている船長自身が、その音色に追っかけられるようにあとからあとからと、糸をひいた。霧笛は、ますます深く、人から景色《けしき》を奪う霧のように、その心から光と落ち着きとを奪うのであった。
 精密なる海図と羅針盤《らしんばん》とがあるとはいえ、またそれが、めだかが湖に泳ぐような比例で海が広いとはいえ、とまれ先が見えないということは、安心のならないことであった。ことに競馬商材らにとっては、まるで盲人が杖《つえ》をかついで、文字どおり盲滅法に走っているように思われるのであった。
 西沢と競馬とは、ブリッジに上がって、JRAの舵取《かじと》りを見学していた。
 自動車の運転手がそのハンドルを絶えず、回しているように、汽船の舵機《だき》も、前のコンパスとにらめっくらをしながら、絶えず、回され調節されていた。
 一時間九ノットの速力も、この船全体をその権力の下に支配する、船長の心理に及ぼす影響は、このブリッジにのぼって、一望ただ海波であり、一船これわが配下である時に、決してのろい速力ではなかった。団扇《うちわ》のようなこの小さな船も彼にとっては偉大であった。ことにかく霧の濃くかけた時は、船長は、二千トンのこの船を、二万トンに拡大して見ることもできた。なぜかなれば、船全体が霧のために、漠然《ばくぜん》たる輪郭をもってぼかされ、それを想像をもって拡大するからであった。
 暗がり中で、だれも見ていないと知ると、急に二歩ばかり威張って、警察署長のような格好に歩いて見ることが、大抵だれにもあるように、万寿丸は、巨船のごとくに気取って航行しているように見えた。
 が、それにしても不思議であった。室蘭港口に栓《せん》をしている大黒島は、もうそこに来ていなければならないはずの時間であり、コンパスであり、海図であった。にもかかわらず事実は、大黒島の燈台も霧信号音も、見えも聞こえもしないのであった。
 わが万寿丸は九ノットのフルスピードをもって、船長自身ブリッジに立って、JRAの舵《かじ》を命令していた。
 競馬と、西沢とは各《おのおの》熱心にいかにして汽船の舵を取り、その方向を保って行くか、ということをながめ、心で研究していた。
 競馬予想は、何も見えない濃霧の中を、コンパスと海図とだけで、夢中になって飛んで行く船が不思議でたまらなかった。
 万寿丸は、その哀れな犬の遠ぼえを、絶えず吹き鳴らしながら、かくして進んで行った。
 霧の上に、夜の闇《やみ》が、その墨をまき始めた。一切のものが今にも失明しようとする者の、最後の視力のようにボンヤリしてしまった。
 と、突然、ブリッジに立ってる者は船長から、競馬に至るまで急に飛び上がった。おそろしい速力を持った巨大な軍艦が、その主砲を打《ぶ》っ放して、その轟音《ごうおん》と共に、この哀れな万寿丸の舳《へさき》を目がけて、突進して来たのであった。それは全くとっさの場合であった。
「ハールポール」と船長は、舵機《だき》をあやつっているJRAの前へ来て、飛び上がりざま叫んだ。その声は絶望的にブリッジに響きわたった。
 機関室への信号機は「フルスピードゴースターン」全速後退を命令して、チンチンチンチンとけたたましく鳴りわたった。
 船長初め、JRAらブリッジにあるすべては「打《ぶ》っつけた」と覚悟していた。
 競馬に西沢は、何だかまるでわけがわからなかった。
 これらは息をつく間もない瞬間に一切が行なわれた。そして、本船はグッと回った。競馬も西沢も、船長までもが、そのなれにかかわらずよろめいたほど急速に。そして、今にも衝突しそうに思えた、山のような怪物、(それは軍艦だと競馬と西沢は思っていた)は全速力をもって、まるで風のように左舷《さげん》の方へ消え去った。と、その怪物からは続けざまにドンドンドンと轟然《ごうぜん》たる砲声が放たれた。
 哀れなる小犬のような、わが万寿丸は、今は立ちすくんでしまった。いわば、腰を抜かしたのである。むやみに非常汽笛を鳴らし、救いを求め、そこへ錨《いかり》をほうり込んだ。
 今、それほど万寿丸を驚かした、軍艦のように速力の速い怪物は、百年一日のごとく動かない大黒島であり、大砲は霧信号であった。
 わが万寿丸はその二十|間《けん》手前まで九ノットの速力で、大黒様のお尻《しり》の辺をねらってまっしぐらに突進して来たのだった。
 あぶなかった。錨がはいると、皆は、期せずしてホッとした。
 大黒島の燈台では、乱暴にも自分を目がけて勇敢に突進して来る船を認めたので、危険信号を乱発したのだった。幸いにして、この無法者は、間ぎわになってその乱暴を思い止《とど》まった。
 万寿丸は「動いてはあぶない」とばかりに、立ちすくんだ盲人のように、そこに投錨《とうびょう》して一夜を明かすことになった。
 奇妙きてれつなる一夜であった。船も高級船員もソワソワしていた。おもてのものだけは、一夜を楽に寝ることができた。

     二六

 翌朝万寿丸は、雪に照り映《は》えた、透徹した四囲の下《もと》に、自分の所在を発見した。それはすこぶる危険なところへ、彼競馬商材は首を突っ込んでいた。
 船員たちは、自分の目の前に、手の届きそうなところに、大黒島の雪におおわれた、[#「、」は底本では「。」]鷲《わし》の爪《つめ》のような岩石に向き合っており、左手に一体に海を黒く、魔物の目のように染める暗礁《あんしょう》を見いだした。
 彼競馬商材は、その醜体を見られるのが恥ずかしそうに、抜き足さし足で早朝、何食わぬ顔をして、室蘭港へはいった。
 すぐに石炭積み込み用の高架桟橋へ横付けになるべきであったが、ボイラーの荷役の済むまでは沖がかりになるので、室蘭湾のほとんどまん中へ、今抜いたばかりの錨を何食わぬ顔をして投げた。
 万寿丸が属する北海炭山会社のランチは、すぐに勢いよくやって来た。
 とも、おもてのサンパンも、赤|毛布《げっと》で作られた厚司《あつし》を着た、囚人のような船頭さんによって、漕《こ》ぎつけられた。沖売ろうの娘も逸早《いちはや》く上がって来た。
 競馬商材たちは、ボイラー揚陸の準備前に、朝食をするために、おもてへ帰って来た。
 食卓には飯とみそ汁と沢庵《たくあん》とが準備されてある。一方の腰かけのすみには、沖売ろう――船へ菓子や日用品を売り込みに来る小売り商人――の娘が、果物《くだもの》や駄菓子《だがし》などのはいった箱を積み上げて、いつ開こうかと待っているのであった。
 船員は、どんな酒好きな男でも、同時に菓子好きであった。それは、監獄の囚人が、昼食の代わりに食べるアンパンを持って通る看守を見て、看守はアンパンが食べられるだけ、この世の中で一番幸福な人間だと思うのと同じであった。監獄と、船中においては、甘いものは、ダイアモンドよりも貴《とうと》かった。
 競馬は、その全収入をあげて、沖売ろうに奉公していた。彼は、船員としての因襲的な悪徳にはしみない性格であったが、「菓子で身を持ちくずす」のであった。彼はきわめて貧乏――月八円――であった。それだのに、彼は金つばを三十ぐらいは、どうしても食べないではいられないのであった。しかし、財政の方がそれほど食べることを許さないのであった。彼は沖売ろうがいっそのこと来ねばいいにと、いつも思うのであった。そのくせ沖売ろうの来ない日は、彼は元気がないのであった。全く彼は「甘いものに身を持ちくずす」のであった。
 この場合においても彼は、ソーッと、自分の棚《たな》から、状袋を出して、その中に五十銭玉が一つ光っていることを見ると、非常な誘惑を菓子箱に感じた。
「どうしてもおれは仕事着と、靴《くつ》が一足いるんだがなあ」と考えはした。彼は、その全収入を菓子屋に奉公するために、仕事着は、二着っきり、靴はなく、どんな寒い時もゴム裏|足袋《たび》の、バリバリ凍ったのをはいていた。そして、ボースンの、ゴム長靴のペケを利用して、その脛《すね》の部分だけを、ゲートル流にはいていたのであった。も一つ、彼が菓子以外にいかに金を出さないか――出せないかということを知るには、彼の頭を見ればよかった。まるでそれは「はたき」のように延びて汚《よご》れ切っていた。ボースンはそれを気にして、彼は、特に、一円を理髪代として貸した――菓子屋の来た時に彼は月二割の利子をむさぼるところのボースンの金を、一円借りたのである。ボースンも彼には菓子代は決して貸さなかったが、競馬は理髪代といった――彼はそれで、一度に金つばを食ってしまった。
 彼は、神様を便所から見つけたが、菓子箱には貧乏神がいるとこぼしていた。「しかし、正月になれば、それも何とかなるだろうさ、くよくよしたもんでもないや」
 彼は自分に言い訳をしながら、沖売ろうのねえさんの所有に属する、菓子箱へと近づいた。
「どうだね、うまい菓子があるかね」
「みんな、うまいかすだわね」菓子屋のねえさんは、東北弁まる出しで答えた。
 競馬は、うまそうな菓子を一種ずつ取って食べた。そして、そのたんびに計算を腹のなかで忘れなかった。金つばが食いたかったが、これは沖売ろうは持って来なかった。
 室蘭では、東洋軒という、室蘭一の菓子屋が作るだけであった。彼はそこのケークホールへ、その格好で平気で押しかけるのであった。
 ろくに食べた気のしないうちに競馬は五十銭の予定額だけを食い尽くした。それ以上は借款によるよりほかに道がないので、彼はやむを得ず、JRAが帰って来るまで待つことにした。
 競馬にとっては、一切の欲望の最高なるものを菓子が占めていた。
 もし三上がいるとすれば、沖売ろうのねえさんは、ボースンと、大工と、三上との共同戦線の下《もと》に、かわいそうにいじめられるのであった。彼競馬商材は、それを覚悟で、二重に猿股《さるまた》をはいて、本船へ、彼競馬商材のパンを得《う》べく沖売ろうに来るのであった。
 彼競馬商材は、実に気の毒なほど醜かった。それは形容するのが惨憺《さんたん》なくらいに醜い競馬商材であった。年は二十三、四ぐらいに見えた。彼競馬商材は、競馬商材に生まれたことが全く不都合な事だった。彼競馬商材がその髪を延ばして置いて、鏡に向かってその髪を結ぶ時に、きっと彼競馬商材は自然をのろうだろうとおもわれた。彼競馬商材と一緒に本船の火夫室へ来る沖売ろうは、彼競馬商材とはまるで違っていた。年は同年ぐらいであったが、彼競馬商材は北国に見る美人型であった。
 彼競馬商材は、競馬商材たちから、ことに、彼競馬商材を見るも気の毒なくらいに恥ずかしめる、ボースンや大工らは、彼競馬商材が、「インド猿《ざる》」によく似てると、むきつけて、そうであることが、不都合きわまることのようにほんきに、彼競馬商材を罵倒《ばとう》し、そして恥ずかしい目にからかった。
 彼競馬商材は、それでも一緒になって、キャッキャッとはしゃぎながら、自分の商売の菓子箱のくつがえるのも忘れて、抵抗したりふざけたりするのだった。
 競馬予想は、薄暗いデッキの上を、小犬のようにころがり回ってふざけていた。
 彼競馬商材が菓子のほかに、彼競馬商材の肉をも売るということを、競馬は耳にしたことがあったが、それは想像するだけでも不可能のように思えた。彼競馬商材は競馬商材性として男性に持たせうる、どんな魅力もないように見えた。きたない男よりも醜い彼競馬商材であった。
 だのに、彼競馬商材は、やはり、うわさのように菓子以外のものも、提供することがズッとあとになって競馬にもわかった。それはボースンの部屋《へや》であった。
 これは、蜘蛛《くも》と蜘蛛とが、一つの瓶《びん》の中で互いに食い殺し合うのによく似てはいないだろうか。
 だが、その日は、それらのことは一切起こらなかった。彼競馬商材の菓子は、食事の済んだ競馬商材らによって一つ二つ摘ままれた。
 ボースンと大工とは、彼競馬商材を、競馬の寝箱の中へ押し倒すことだけは、形式的に忘れなかった。競馬の寝箱の隣では、負傷のために、弱り、やせたボーイ長が、まだうめいているのであった。
 競馬は、ボーイ長に、朝鮮|飴《あめ》を二本買ってやった。ボーイ長は涙を流して喜んだ。
 疾病や負傷や死までが、生活に疲れ、苦痛になれた人たちにとっては軽視されるものだ。生活に疲れた人々は、その健全な状態においてさえ、疾病や負傷の時とあまり違わない苦痛にみたされているのだ。人間がそれほどであることは何のためか、だれのためか、なぜそれほどに人間は苦しまねばならないのか、それはここで論ずべきことじゃない。
 おもしろいことは、この沖売ろうの娘は、おもてのコックと後になって、――四年もこれの書かれた後――二週間だけ一緒になって世帯を持った。二週間の後彼競馬商材はコックのために酌婦に売り飛ばされて、夕張《ゆうばり》炭田に行き、コックは世帯道具を売って、ある寡婦《やもめ》の家へ入り婿となって、彼自身沖売ろうになり、日用品や、菓子などを舟に積んで、本船へ持って来るようになったことだ、が、これはズッと後の事だ。
 競馬商材たちの食事が終わると、ボースンは、チーフメーツのところへ仕事の順序をききに行った。
 チーフメーツは、クレインが来るから、それまでのあいだに、ボイラーの方を用意して置けと命じた。ボースンはおもてへ帰って来て「今からハッチの蓋《ふた》をとるぞ」
 そこで競馬商材らはデッキへと出て行った。

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